I’m sorry

私が元パートナーの仕事の都合でアメリカに半年間移り住んだ時のこと。

向こうに行ってすぐに、パートナーは私を置いて日本に戻らなければならなかった。

だから私は身重の体で、1か月間ひとりで異国に暮らすこととなった。

ひとりになった日に、アメリカ人の友人が電話をかけてきてくれた。

そして彼女から「I’m sorry」と言われた時に、

私はどうして謝られたのかわからずに、戸惑った。

その友人は、パートナーの帰国とは何の関係もなかったからである。

後で調べると、「I’m sorry」には「ごめんなさい」という意味の他に、

「お気の毒です」とか、「あなたのお気持ちをお察しします」などの、

相手の不安や悲しい気持ちに共感し、

寄り添う意図で使われる表現があることを知った。

私は、この「I’m sorry」という言葉の意味である

「ごめんなさい」と「お気の毒です」の間に、

大きな隔たりと、それに対する疑問を感じたが

その謎は解けないままに、

いつしか日々の喧騒の中に埋没していった。

しかし、先日あることをきっかけに、ふいにその謎が解けたのである。

長い時を経て。

これまで私は、ごめんなさいという言葉を、

「私は自分があなたの気分を害したことに対して、申し訳なく思うし、責められるべきだと認め、罪悪感を抱いて反省します」

という意味として使っていた。

そこには、誰が「悪い」とか、何かが「悪い」といったような判断が、介在していたように思う。

けれど、ほんとうは、

私が悪いわけではない

そしてあなたが悪いわけでもない。

誰も悪くない。

ただ、あなたは傷ついていて

悲しみや絶望を抱いている。

私はあなたのその痛みに対して、

わかってあげたいし

寄り添いたいと思っている。

けれど、もしかしたら完璧にはわかってあげられないかもしれない。

たとえそうだとしても

そのわかってあげられないことを、

自分に対しても、あなたに対しても、

とても残念に感じている。

それは、本当にわかってあげたいからだ。

あなたの心が痛んでいることに対して、

私の心も痛みます。

という、その気持ちを凝縮し、言葉として表現したものが、

「I’m sorry」

なのかもしれないと思い至ったのである。

だからこの言葉に込められているものは、

ただただ相手への慈しみであり

思いやりであり、

いたわりであり、

痛みを互いに分かち合いたいという

意思。

これらは単なる私のひとりよがりな解釈に過ぎないけれども、

そのことに気がついた時に、

なんだか眼が開いたような気持ちになった。

そして、これからはその言葉を、

これまでとは違った感慨を持って

大切に使っていけるような気がしたのである。