可能性という芽を育む

いつも私に本当のことを伝えてくれる、友人のM子が言った。

「るりには自分の『無価値感』を突破する心のタフさが足りない。無価値感が出ても、それに直面して掘り続けたその先にしか、温泉は湧き出ないんだよ。」

本当にその通りだ。そして、よくまぁこんなに見事に私のことを見抜き、ズレがなくしかもわかりやすく表現できるものだと、感心する。イタ気持ちいいくらいだ。こういう友人の存在は宝だ。

ちなみに、私は少し掘ってみては無価値感という岩にぶつかり、さっさとそこを掘ることを諦めて、他の場所を掘り始めるタイプだ。パートナーシップも、はじめこそ「運命の人だ!」と騒いでみたりするが、それはある意味騒ぐことで気を紛らわせたり、パートナーを持つことで無価値感を埋め合わせるという目的であって、本質ではない。そして、すぐに「やっぱり人違いだった」と結論づけるパターンによってこじらせ続けている。

M子の洞察を母に伝えると、首がちぎれるほど激しく同意してうなずいていた。「よくぞ言ってくれた!」くらいの会心の笑みを浮かべていたので、母も長年そう感じていたことが、だいぶあからさまに伝わってきた。

私は行く先々で誰かの期待に応えたり、受け入れられやすいキャラを作ったりして、自分の居場所を確保してきた。もう今やそれは無意識でやってしまうのだけれど、無理したり演じたりしている分疲れきってしまう。でも、これ以外の処世術を知らなかった。

その後、自分らしく生きている人達の魅力や素晴らしさに触れるにつけ、私もそのように生きたいと思うようになった。本物の持つ魅力や目の醒めるような輝きは、嘘に疲れた私のような人たちを癒し、凍った心を溶かすあたたかなエネルギーだ。それこそ温泉のように。

M子の言葉で、改めて私はどの分野を掘るのかを決めなければいけないと思った。幸いなことに、興味の幅がすごく狭い私は、好きなことが少ない。もし私が器用な上に好きなこともいっぱいあったら、あれこれ試食しているうちに、メインディッシュに辿り着く前に糖尿病になっていただろう。けれど私は同じものを食べ続けて糖尿病になるタイプだから、選択肢では迷わない。どのみち糖尿病になる宿命は悲しいけど。

書くこととパートナーシップ。どちらもまだ芽が出る気配もまったくない、地面の下に眠っている種でしかない。一生芽が出ないかもしれず恐くなるし、出てきたその芽がカッコ悪くて笑われたらどうしよう、いい歳こいて惨めだなとも思う。それでも、水や太陽の光のような慈悲と滋養を、辛抱強く自分自身に注いであげようと決めて、これを書いている。いたずらにその可能性の芽をみずから摘むことなく守っていきたい。そして、その種に注いであげる滋養は、できれば美しく純粋なものでありたい。

それはたとえば、

信じるとか

ゆるすとか

愛するとか

そういったものだ。

脈動する世界のはじまり

また書きはじめたおかげで、色々と感じさせられている。

新しいことをはじめる時は、不安がつきものだ。まわりが思う以上に、本人のなかでは、「どうせ続かないよ」とか「また口だけだね」とか、辛辣な声が鳴り響いている。

そんな時にエールを送ってくれる人の、その心意気のありがたさ。心細い時こそ、誰かが送ってくれるまっさらな応援の気持ちは、いつもより何倍も胸に沁みる。

その恐さから、私はプールの飛び込み台に立つ機会が年々減っていた。だから、この心細い気持ちを味わうことが、いつの間にか減っていたことに気がついた。私はその間ずっと、ただの観客として無責任でいられた。

チャレンジしなくなることの弊害は、それだとなにもはじまらないだけじゃなく、誰かからかけてもらえる言葉や気持ちのそのあたたかさとか、ありがたさを、受けとりそびれてしまうことなのだと思う。

私が失敗して恥をかくことを恐れて引きこもり、傷つくことから自分を守っている間に、いつのまにか心の動きは鈍くなっていった。だから、みんなの言葉や気持ちのその温度を、そのあたたかさを、うまく感知できなくなっていたのだろう。

こうして新しいことをしはじめたら、その不安と怖さとドキドキで、心がふたたび脈動しだした。以前よりも自分のまわりの世界の温度を感じられるようになり、そのおかげで世界も色づきだした。

いま世界が変わりゆくなか、新しいことをはじめざるを得ない人達が増えてくることは、きっとなにかの恩恵だろう。たくさんの人の心がドキドキと脈動しだし、動いた分だけ

その熱もやわらかさも

冷たさも固さも

甘さもほろ苦さも

いまより生き生きと感知できるようになることは、新しい時代にとってはきっと、豊かさでしかないのだから。

好きなことをはじめてみる

昨夜、私の愛してやまない毒舌の友人に、「書くことがライフワークなら、毎日書かないとダメだよ」と言われ、それもそうだなと思った。

でも・・続けられない自信しかない。

そんな不安の中でふと浮かびあがったのは、一昨日、会社で隣の席の上司が言っていたこと。彼女はとあるサイキックのセッションを受けてきた直後で、やや興奮気味に席に戻ってきた。

「いきなりズバリ核心をつかれて、驚いたなんてもんじゃない」と。

ちなみに、そのサイキックはパッと見ガリガリガリクソン似で、過去世で黒魔術の研究でもしていたような、怪しい風貌をしている。そのせいだからだと思うが、彼女のセッションはそれほど人気が高いわけではなく、なので上司のその反応はちょっと意外だった。

彼女がサイキックから言われたことは、こうだ。

「恐れがあって本当のことを言わないのは、ただ痛みから逃げているだけ。

自分にとっての真実を伝えることは、嘘の殻をつき破るということ。それが本当の意味での自己成長となり、本当の自分を生きることになる。」

私は密かに驚いてた。というのも、それは最近の私のテーマとまったく同じだったから。そして、そのサイキックが怪しい風貌とはウラハラに、真実をサラリと伝えていることに、内心もっとビックリしていた。

さらに上司はこう言われたという。

「あなたは本を書くといい。書くのがとても向いているから」と。

上司は答える。

「でも、私なかなか書けなくて。」

するとサイキックは言う。

「完璧なものを書こうとしなくていい。いいものを書こうとするのではなく、書きたいことをただそのまま書けばいいのよ」

ふと、作家のメンターが「自分に近しい人のアンテナに引っかかった情報は、自分のものと同じ」といったようなことを、彼の著書に書いていたことを思いだした。

サイキックが上司に伝えたメッセージは、実は私宛なのかもしれないと少しドギマギした。セッション料も払っていないのにいいのか?と。それに、ただの自分の勘違いの可能性も高く、だとしたら私はなんてうぬぼれやさんなのだろう。恥ずかしすぎる。

「でも私、何も人の役に立つようなことを発信できないんだけどな」

と早速弱音を吐く私に対して、友人はこう言った。

「そうやって人の役に立とうとすることが、犠牲になるんだよ。好きなこととか書きたいこととかを、ただ書けばいいじゃない」

・・・でもそれって、自分勝手だって思われない?

なにより、ひとりよがりだと思われるのが恥ずかしい。

それに、誰にも読んでもらえなくて、人気がないのがバレるのも凹む。

でも逆に、楽しみに待たれてあとで「つまんねーな」とがっかりされるのも嫌だ。

あぁ、、こういう悩みのすべてから、私は今まで逃げまわってきたのだと気づいた。

いま新しい時代の渦のなかで、色んなことが急速に変わりはじめてる。あたり前だったことがあたり前じゃなくなる時代の分岐点で、私をこれまで守ってくれていたように見えたつまらないミエやプライドは、もう通用しないだろう。捨てるならいましかない。

好きなことへと向かう途中にある、たくさんの燃えるような恥ずかしさや、消してしまいたくなるほどイケてない自分。

それらも私。と受け入れる。そう感じるのはチャレンジしている証拠だと、自分を励ます。

私の受け取ったメッセージはきっと、私のためだけじゃなく、誰かのためでもあるのだから、感謝とともに恩送りをする。持ち逃げしたくなる小さな自分と向き合いながら。そうすることで、エネルギーが滞ることなく、綺麗に流れる。

できないと信じる同じ強さで、できると信じてみる。

チャレンジした先に、あの時の誰かが通った苦しみや悲しみを

ただの想像ではなく、体験したからこそわかることのできる自分が

きっと待っているから。

秋の気配

家族4人で山に来ている。

秋になると、山にきのこを採りに行くのは、

私が小さい頃からの家族行事だ。

ただし、父母の山への熱意は、実に家族行事以上のものがあり、

2人の職人性が発揮される場でもあった。

私は山から滑り落ちてトラウマになることもあったし、

両親は山で熊にも何度か遭遇したりしている。

それでも、2人は山へ行くことを決してやめなかった。

父はもう亡くなっているので、あの頃の熱意を引き継いでいるのは

母だけになり、兄と私と息子は、母の付き添いのような形だ。

母もさすがにもう高齢なので、滑落しそうな険しい山には分け入らなくなった。

山へ行く日の朝は、とんでもなく早起きをして暗いうちから出発する。

私は正直そこまで山にもきのこにも興味がないので、

嬉々として準備をし、山に着くと疲れも知らず一心不乱に何時間もきのこを探す、

母のその熱意の出所が不思議である。

家を出る際に、ガレージの中を久しぶりに見た。

数年前に実家を建て直してから、私はあまり立ち入っていなかった場所だ。

私のお雛様や、兄達の兜や、亡き父の釣り道具など

捨てるには忍びないが、もう使いようがないもの達が置いてある。

それを何気なく見ていると、

父母の歩いてきた人生の軌跡が

家族の輪郭を描きながら、ふいにリアリティを伴って立ちのぼってきた。

若かりし頃の2人が手探りで家庭を営み、会社を経営しながらの忙しい中で、

懸命に私達兄弟を育て、

その中で可能な限り人生も謳歌したのだということが

そこにひっそりと積まれたもの達から、

ある重みを持って伝わってきた。

私は今まで気がつかなかったけれど、

たとえ問題と混乱を抱えていても、家族を守り導くべく奮闘する両親の気概と、

責任感と、

健気に生きた証を見た気がした。

自分もその時の両親と同じような歳になってみると、

私が彼らよりとても気楽に、身軽に生きてきてしまったことを思い知る。

私のミニマムな暮らし方は、見方によっては無駄が少ないとも言えるので、

彼らとは生きた時代が違うといえばそれまでだけれど、

その一方で、人生に対して消極的なのかもしれない、とも感じる。

彼らの、がむしゃらに何かを築き上げようとする姿勢が、

こうして家だったり、

ガレージに鎮座する多くのものとして残されているような気がした。

原家族にあまり恵まれなかった父母が、自分達の家庭こそはと抱いた、

理想や期待や願いと、

それとは違う現実。

違かったとはいえ、

彼らが家族に与えたかったもの。

自分達が得られなかったが故に。

その時、わたしは目の覚めるような想いで、

両親の素晴らしさを知ったのである。

両親だけではない。

そこには、兄の私物も現在進行形で置かれているのだが、

サーフィンの道具や、自転車や、その他の色んな道具を見ていると、

普段は物静かであまり主張しない兄が、自分なりに人生を楽しみ、味わっている様子が伝わってきた。

私は、兄の素晴らしさも思った。

そして、人の素晴らしさを思った。

私は今までなんて人間のことを軽んじていたのだろう、

と恥じた。

けれどこれは、健全な恥の気持ちである。

みんな健気に生きていて、

批判されるべき人などいない。

ささやかな活動の中にも、

守るべき人達への愛や、

想いや、

慎ましく人生を味わう気持ちが

潜んでいる。

無駄だったり、非効率だと思うものの中に、

大切な意味や、込められた想いが潜んでいる。

みんな健気に生きていた。

私は、胸打たれた。

涙が頬をつたった。

身近な人達のことは、わかっているようで意外とわかっていない。

父のこと

母のこと

兄達のこと

ガレージは実家のすぐ横にあったのに、

そこに立ち入るまで気づかなかったこと。

本当に大事なものや、

当たり前にしてしまっているけれど、素晴らしいものは、

日常の自分のすぐ近くにあるのだと

改めて思い知ったのである。

私の中で何かが溶けていくのを感じた。

兄の運転する車の中で、そんな想いに浸っていると、

いつの間か車窓には、見事なまでの錦秋の山々があった。

朝の邂逅

朝目が覚めて、階下へと向かう。

母とダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら話す。

昨夜見た夢。
息子の話。
人生の不思議さ。
意味のある偶然。

そして、母の話へと移る。

母の中に長くあったしこり。

母とその原家族との怒りや悲しみのドラマ。

拭いきれなかった痛み。

自由という名のよるべなさ。

私の父との間のこと。

才能があったのに、

才能があったが故に、

自分の痛みに飲み込まれてしまった父。

言葉がいらないくらい、敏感に察することができる2人だったのに

いつしか溝ができてしまったこと。

そこにあった数々のすれ違いや、誤解。

がっかりしたことや、苦いままの思い出。

あまり語られてこなかった、母の後悔。

けれど私は思う。

後悔は、愛が深いからこそ抱くものであり、

痛みは、心が柔らかくて繊細だからこそ、生じるものなのだと。

だから誰も悪くない。

ただ愛が深いだけ。心が柔らかいだけ。

痛みの下にたくさんあった、才能や愛。

そこにある、父母の真実の姿。

 

そしていま、それらが少しずつ紐解かれて行って、

新しい光のもとで見直してみると、

ひとつひとつの出来事に潜む

「癒しなさい」という小さな呼び声。

つらい時でも、ずっと何か大いなるものに守られていたという、

その感覚。

大変なことも、悲しいことも、たくさんあったけれど、

それが全部、今の幸せに繋がっていたという、

慈愛の存在。

話しながら、母は泣いていた。

私も泣いていた。

私達は同志だった。

そして時と共に形を変えながら、今も深く繋がっている。

悲しみも絶望も、喜びも真実も、分かち合いながら。

 

諦めても、諦めても、

また立ち上がるだけなのだと思う。

諦めないなんて無理だから。

諦めて。

諦めて。

諦めの底から、何かを掴んで

また始めるだけ。

でも、それでいいんだ。

と、そんなことを思った。

不思議な力

私と母と息子の親子三代で、息子の進路に関して家族会議をした。

学費とか就職率とかの数字で決めるのはやめよう。
計算ではなく、純粋にどの学校に行ったらワクワクするのか。
それで決めよう。

結果、ほどなくして満場一致であっさり決まった。

願書を書くにあたり、志望動機をどうやって書いたらいいのか悩んでいる息子に、あれこれインタビュー。

なぜそのキャリアを選ぼうと思ったのか。
どうしてそれが好きなのか。

息子にとっては自然すぎて、改めて考えたり言語化してこなかったこと。
私も今まで聞いたことがなかった、彼の世界。

いくつかの問いの先にあった彼の答えは、私には意外なものだった。

「人を癒すようなものを創りたい」

なんだ、そうか。
表現のツールは全然違うけど、根っこは私と同じなのか。
なんだなんだ、やっぱり親子なんだな。
そういえば、うちの母も同じだな。

結局、親子三代、目的は同じじゃないか・・。

なんだ、そうだったのか・・・。

そのことに気づいた時、不思議な感覚に包まれた。
そして、妙な納得感もあった。

私が人生を諦めていた頃に、生まれてきた息子。
諦め切る暇もなく、とにかく生きるしかなかった。

あれから17年も経ち、これまで頑張って働いてきたから、そろそろ隠居してもいいかなと枯れかけていた私に対し、

自ら夢を追いかける姿を見せ、

私の目を覚まし、新たな生きる目的をくれた。

そうか。枯れている場合ではなかった。

私はもっと働こう。もっと生きよう。

諦めるのは、まだ早かった。

いつもいつも、ものすごいタイミングで現れる息子。
その存在で、私を生きる方向へと突き動かす。
一体どんな縁なのだろう。

子供は親を助けるためにやってくるという。

それは本当で、神様はいるのだと思う。

70を過ぎたうちの母が、なんだか張り切っていた。

孫の夢に触発され、生きるモチベーションが湧いてきたのだ。

私達も親にとってのそういう存在だったのかもしれないと、その可能性を知る瞬間。

ワクワクは確かに伝播する。

夢はそれ自体がエネルギーだから。

夢が宿り、
その夢を自分が守り通して、
世の中に出す。分かち合う。

そうすると決めるのは、自分自身しかいない。

恐かったり、迷ったりして、決められない時もある。

けれど不思議な力は、偶然を装いつつ

ちゃんと意味ある場所に、私達を連れて行ってくれる。

静かに、優しく、

生きろ

と促す。

人生とは、生きるとは、

なんて不可思議で

神秘に満ちているのだろう。

そして私達をいつの間にか生へと運び押し流すその潮流は、

誰かの夢だったり、希望だったり、想いだったり、信じる気持ちだったり、

それらの目に見えない力が根底にあるのだと思う。

いつかの誰かが注いだからこそ生まれる、その潮流。

こうしてその恩恵を受けられることの、幸福。

そのことに深い感謝の想いを馳せ、

私もまた、その太古の流れの中に入っていこう。

失うものなど、何もないのだから。

あたたかな手

自分の今後についてカードリーディングをしていた時のこと。

カードからのメッセージはこうだった。

「あなたのスピリットの光が消えかけています。

疲れていて、でもあなたはそのことに気づいてすらいないかもしれません。

ガソリンが切れそうになっているので、補給してください。

手を伸ばし、誰かに愛や支援を求めてください。

マッサージを受けることや、温泉に浸かること。公園に行くことやペットと遊ぶこと。

それを自分でやるのではなく、誰かにあなたのバランスを元に戻してもらってください。

誰かにあなたを満たしてもらうことは、あなたの助けとなるばかりではなく、

世界を満たすことになるのです。」

自分から何かをしたり、進んで仕事をすることならできる私は、

人に頼んだり、ましてや愛や支援を求めることはあまり得意ではない。

(女王様のように上から目線で指示や命令をすることはあるとしても・・・。)

それ、苦手なやつやなぁ。でも、気づいていないというところは当たってるなぁ。

と思った私は、近くにいた息子に頼んでみることにした。

「お母さん疲れてるみたいだから、手を揉んでもらってもいい?」

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春と変容

この春から高3になる息子が、週2でバイトを始めた。

早朝のオフィス清掃の仕事。昨日も4:50起床で家を出ていった。

学校に支障がないよう、その仕事を選んだのだ。

中学の時は不登校気味で、テストもほぼ受けていないから、成績は惨憺たるもの。

昼夜逆転生活が続き、朝寝て夕方に起きるような日々。

昼夜問わずオンラインゲームばかりやって、私ともよく喧嘩をした。

そんな状況下で、私は息子の将来に希望を見出すことができなかった。

けれどその後の様々な紆余曲折を経て、

今は学校が楽しいと言って、春休みでも毎日学校に行き制作にいそしむ。

将来やりたいことが明確に決まっていて、ひとりで志望校のオープンキャンパスにサクサクと出かける。

去年栃木から東京までの100キロを自転車で家出して、それ以来そのまま東京に置いてあった自転車も、先日の週末にひょいと乗って、10時間かけて栃木に戻って来ていた。

そしてこの春、バイトまで始めた。

息子の活躍ぶりに、母は色々と追いつかない。。

同じ人とは思えないし、一体息子の内面でどのような変容が生じたのだろう。

こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。

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友と祈り

とある気になる出来事があり、親友にメッセージで相談していた時のこと。

その友は、私以上に立腹し、親身になってくれる、正義感の強い人であり、

友情に篤い、私の大好きな友である。

そして、メッセージでのやりとりが続くなか、

友が想いを寄せ合っている人の話になった。

彼らの間には幾多の越えなければならない問題がある。

彼女の

「だから彼のことが今も好きなんだと思う私は。

私が私らしく善人でいられる、彼のそばだと。

自分の好きなことにすごく真っ直ぐな私でいられるんだよね。」

という言葉を読んだ時、

その真実が

ピュアな波動が

まっすぐな想いが

ふいに私の心を貫いて

ハートがじんとして、

震えた。

彼女がどんなにか彼のことを好きなのかが、

その言葉から

波動から

切ないほどに伝わってきたからである。

私は彼女のその想いに胸うたれ、

思った。

どうして想い合っている2人が、色んな回り道をしなくてはならないのだろう。

神さま、もういいではないですか。

そろそろ2人を幸せにしてあげてください、

と。

そのあと堰を切ったように、

悲しみが溢れ出し、

そして、とある映像がどっと心に流れ込んできたのである。

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I’m sorry

私が元パートナーの仕事の都合でアメリカに半年間移り住んだ時のこと。

向こうに行ってすぐに、パートナーは私を置いて日本に戻らなければならなかった。

だから私は身重の体で、1か月間ひとりで異国に暮らすこととなった。

ひとりになった日に、アメリカ人の友人が電話をかけてきてくれた。

そして彼女から「I’m sorry」と言われた時に、

私はどうして謝られたのかわからずに、戸惑った。

その友人は、パートナーの帰国とは何の関係もなかったからである。

後で調べると、「I’m sorry」には「ごめんなさい」という意味の他に、

「お気の毒です」とか、「あなたのお気持ちをお察しします」などの、

相手の不安や悲しい気持ちに共感し、

寄り添う意図で使われる表現があることを知った。

私は、この「I’m sorry」という言葉の意味である

「ごめんなさい」と「お気の毒です」の間に、

大きな隔たりと、それに対する疑問を感じたが

その謎は解けないままに、

いつしか日々の喧騒の中に埋没していった。

しかし、先日あることをきっかけに、ふいにその謎が解けたのである。

長い時を経て。

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