ふたりで歩く

誰かとふたりで歩くということを、久しくしていなかった。

 

それは、駅まで歩くとか、

会社まで戻るとかの、

「手段」として歩くことではない。

歩くこと自体を目的とした、「歩く」ということ。

 

誰かと一緒に歩くと、その相手のことが、よくわかる気がする。

その人の、いままで知らなかった側面が、浮かびあがるから。

 

なにを話すかは、あまり重要ではない。

むしろ言葉は邪魔だったりする。

それよりも、一緒にいてどんな感じがするかとか、

どんな気分になるかが大切。

その日、街路樹の緑は目に鮮やかで、

広々とした道に、爽やかな風が吹き抜けていた。

ゆるやかな坂をのぼったり、くだったりしながら、

街も人も活気に満ちていて、

太陽も眩しい。

 

そんななかをふたりで歩いていると、

楽しい気分になったり、

次はこれしたい、あそこに行きたい、など

色んな場面が思い浮かんだりする。

 

ひとりで見るのとはまた違った、

景色が見えたり、

印象を受けとる。

 

ふたりで歩くということが、思いがけずわたしに、

新しい世界を見せてくれた。

いつもとは違う時間に、

いつもとは違う道で。

 

私は少し驚いた。

グループでわいわい楽しんだり、

ひとりで思索にふけりながら歩くのとは、

また別のインスピレーションを受け取ったから。

 

ひとりの人間が亡くなるのは、1つの図書館の喪失と等しいのだと、読んだことがある。

本当にそうだと思う。

 

その人の一生分の経験なり、気づきなり、感慨なりが、言葉にならないその存在というものに詰まっていて、

一緒に歩いていると、語らずとも、

それがふわり漂い、

混ざりあい、

私たちに影響を与える。

 

初夏の昼下がりの、つかの間の休息がわたしにもたらしくてれた、

思いのほか大事なピース。

 

誰かとふたりで歩くことの良さを、

心で知った瞬間である。

 

デジャ・ヴ

デジャ・ヴに遭遇した時の、不思議な感覚が好きだ。

 

近所に、小高い山がある。都会のど真ん中に位置する、その山の上には神社がある。

そこからぐるり山沿いに配した階段を下りていく時の光景が、とても美しい。

 

薄い水色と淡い茜色が柔らかく混ざった空と、森の深い緑。

少しずつくだっていく、長い木の階段を歩いていると、森に抱かれつつ、空に浮かんでいるのだと、一瞬錯覚する。

 

階段が始まるところから、木々は鬱蒼と繁りトンネルのようになっている。

ある初夏の宵のこと、そこに立っていると、ふと、この光景をどこか知っているような気がした。

 

あぁ、デジャ・ヴかしら。

 

そう思った。

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冬の記憶

軽井沢といえば夏の避暑地としての爽やかな印象が強いかもしれないが、私にとっては真冬の雪深い時期の方が思い出深い。静かに雪が降り積もっていく厳粛な雰囲気とその風景を思い出しながら、あの頃の自分の心情までもがある種の感慨を伴って目の前に浮かび上がってくるのは、今日の都内の寒さが私の体感覚を呼び覚ましたからなのかもしれない。

私は恋人と二人で、冬の軽井沢を訪れた。そこがこんなにも雪深い土地だとは知らなかった私は、大型ショッピングモールを有するリゾート地としての華やかさの裏に、少し時代遅れになってしまった悲哀のようなものを感じつつも、時を経ても変わらず雪や寒さという現実的な問題に黙々と対峙し続けてきた、その土地の人々の実直な暮らしぶりを垣間見た。

私達は落ち着いたモダンな設えの蕎麦屋に入り、そこで温かい蕎麦を食べたり日本酒を熱燗で頼んだりしながら、大きな窓ガラスに映る雪降り積もる外側の世界を静かに眺めていた。きっと都内であればパニックになるだろう雪の量であったが、軽井沢の街はいつもとさほど変わらぬ風情でただ息を潜めて、粛々とその営みを続けていた。それがあの土地が湛えている独特の強さと静謐さなのだった。

雪が降り止まぬなか、その後私達がどこへ行ったのかは忘れてしまった。けれど、あの果てしない雪景色としんとした土地の空気、そしてあの頃の心情は確かにこうして私に中にあり続け、ふとした拍子に浮かび上がり、なんとも言えない温かさと幸福感をもたらしてくれる。それは過ぎし日への思慕でもあり、場所というものが湛える不思議な記憶であり、私が魅かれてやまないものたちなのである。

分かれ道

会社の同僚男性とランチに行った時のこと。

彼には年上の奥さまがいるのだけれど、話を聞いていると

2人の間に流れている愛や信頼や尊敬のエネルギーを感じ、目の醒めるような思いがする。

新婚さんのフレッシュなそれとは一線を画すのは、様々な違和感を乗り越えて、だんだんと歩調が合ってきたと語る彼のその語り口に、彼女がいてくれて、日々彼を支えてくれていることへの感謝が滲み出ていたからだろう。

ビシッと筋の通ったその奥さまのお陰で、彼が以前よりも責任を取って生きられるようになったり、それにつれて器が大きくなっていったり、人としての魅力が増して行っているのが、伝わってきた。

私は「パートナーシップは苦しいもの」とどこかで思っているから、この二人の関係性にはっとした。

「関係性を構築する」ということから逃げてしまっている私とは、というか、「どうせ壊れるならそもそも深い関係性を持たない」というスタンスにいつの間にかなってしまっている私と彼とは、こうしてどんどん差がついていくのだということを思い知らされた気がした。

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秋の気配

家族4人で山に来ている。

秋になると、山にきのこを採りに行くのは、

私が小さい頃からの家族行事だ。

ただし、父母の山への熱意は、実に家族行事以上のものがあり、

2人の職人性が発揮される場でもあった。

私は山から滑り落ちてトラウマになることもあったし、

両親は山で熊にも何度か遭遇したりしている。

それでも、2人は山へ行くことを決してやめなかった。

父はもう亡くなっているので、あの頃の熱意を引き継いでいるのは

母だけになり、兄と私と息子は、母の付き添いのような形だ。

母もさすがにもう高齢なので、滑落しそうな険しい山には分け入らなくなった。

山へ行く日の朝は、とんでもなく早起きをして暗いうちから出発する。

私は正直そこまで山にもきのこにも興味がないので、

嬉々として準備をし、山に着くと疲れも知らず一心不乱に何時間もきのこを探す、

母のその熱意の出所が不思議である。

家を出る際に、ガレージの中を久しぶりに見た。

数年前に実家を建て直してから、私はあまり立ち入っていなかった場所だ。

私のお雛様や、兄達の兜や、亡き父の釣り道具など

捨てるには忍びないが、もう使いようがないもの達が置いてある。

それを何気なく見ていると、

父母の歩いてきた人生の軌跡が

家族の輪郭を描きながら、ふいにリアリティを伴って立ちのぼってきた。

若かりし頃の2人が手探りで家庭を営み、会社を経営しながらの忙しい中で、

懸命に私達兄弟を育て、

その中で可能な限り人生も謳歌したのだということが

そこにひっそりと積まれたもの達から、

ある重みを持って伝わってきた。

私は今まで気がつかなかったけれど、

たとえ問題と混乱を抱えていても、家族を守り導くべく奮闘する両親の気概と、

責任感と、

健気に生きた証を見た気がした。

自分もその時の両親と同じような歳になってみると、

私が彼らよりとても気楽に、身軽に生きてきてしまったことを思い知る。

私のミニマムな暮らし方は、見方によっては無駄が少ないとも言えるので、

彼らとは生きた時代が違うといえばそれまでだけれど、

その一方で、人生に対して消極的なのかもしれない、とも感じる。

彼らの、がむしゃらに何かを築き上げようとする姿勢が、

こうして家だったり、

ガレージに鎮座する多くのものとして残されているような気がした。

原家族にあまり恵まれなかった父母が、自分達の家庭こそはと抱いた、

理想や期待や願いと、

それとは違う現実。

違かったとはいえ、

彼らが家族に与えたかったもの。

自分達が得られなかったが故に。

その時、わたしは目の覚めるような想いで、

両親の素晴らしさを知ったのである。

両親だけではない。

そこには、兄の私物も現在進行形で置かれているのだが、

サーフィンの道具や、自転車や、その他の色んな道具を見ていると、

普段は物静かであまり主張しない兄が、自分なりに人生を楽しみ、味わっている様子が伝わってきた。

私は、兄の素晴らしさも思った。

そして、人の素晴らしさを思った。

私は今までなんて人間のことを軽んじていたのだろう、

と恥じた。

けれどこれは、健全な恥の気持ちである。

みんな健気に生きていて、

批判されるべき人などいない。

ささやかな活動の中にも、

守るべき人達への愛や、

想いや、

慎ましく人生を味わう気持ちが

潜んでいる。

無駄だったり、非効率だと思うものの中に、

大切な意味や、込められた想いが潜んでいる。

みんな健気に生きていた。

私は、胸打たれた。

涙が頬をつたった。

身近な人達のことは、わかっているようで意外とわかっていない。

父のこと

母のこと

兄達のこと

ガレージは実家のすぐ横にあったのに、

そこに立ち入るまで気づかなかったこと。

本当に大事なものや、

当たり前にしてしまっているけれど、素晴らしいものは、

日常の自分のすぐ近くにあるのだと

改めて思い知ったのである。

私の中で何かが溶けていくのを感じた。

兄の運転する車の中で、そんな想いに浸っていると、

いつの間か車窓には、見事なまでの錦秋の山々があった。

朝の邂逅

朝目が覚めて、階下へと向かう。

母とダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら話す。

昨夜見た夢。
息子の話。
人生の不思議さ。
意味のある偶然。

そして、母の話へと移る。

母の中に長くあったしこり。

母とその原家族との怒りや悲しみのドラマ。

拭いきれなかった痛み。

自由という名のよるべなさ。

私の父との間のこと。

才能があったのに、

才能があったが故に、

自分の痛みに飲み込まれてしまった父。

言葉がいらないくらい、敏感に察することができる2人だったのに

いつしか溝ができてしまったこと。

そこにあった数々のすれ違いや、誤解。

がっかりしたことや、苦いままの思い出。

あまり語られてこなかった、母の後悔。

けれど私は思う。

後悔は、愛が深いからこそ抱くものであり、

痛みは、心が柔らかくて繊細だからこそ、生じるものなのだと。

だから誰も悪くない。

ただ愛が深いだけ。心が柔らかいだけ。

痛みの下にたくさんあった、才能や愛。

そこにある、父母の真実の姿。

 

そしていま、それらが少しずつ紐解かれて行って、

新しい光のもとで見直してみると、

ひとつひとつの出来事に潜む

「癒しなさい」という小さな呼び声。

つらい時でも、ずっと何か大いなるものに守られていたという、

その感覚。

大変なことも、悲しいことも、たくさんあったけれど、

それが全部、今の幸せに繋がっていたという、

慈愛の存在。

話しながら、母は泣いていた。

私も泣いていた。

私達は同志だった。

そして時と共に形を変えながら、今も深く繋がっている。

悲しみも絶望も、喜びも真実も、分かち合いながら。

 

諦めても、諦めても、

また立ち上がるだけなのだと思う。

諦めないなんて無理だから。

諦めて。

諦めて。

諦めの底から、何かを掴んで

また始めるだけ。

でも、それでいいんだ。

と、そんなことを思った。

不思議な力

私と母と息子の親子三代で、息子の進路に関して家族会議をした。

学費とか就職率とかの数字で決めるのはやめよう。
計算ではなく、純粋にどの学校に行ったらワクワクするのか。
それで決めよう。

結果、ほどなくして満場一致であっさり決まった。

願書を書くにあたり、志望動機をどうやって書いたらいいのか悩んでいる息子に、あれこれインタビュー。

なぜそのキャリアを選ぼうと思ったのか。
どうしてそれが好きなのか。

息子にとっては自然すぎて、改めて考えたり言語化してこなかったこと。
私も今まで聞いたことがなかった、彼の世界。

いくつかの問いの先にあった彼の答えは、私には意外なものだった。

「人を癒すようなものを創りたい」

なんだ、そうか。
表現のツールは全然違うけど、根っこは私と同じなのか。
なんだなんだ、やっぱり親子なんだな。
そういえば、うちの母も同じだな。

結局、親子三代、目的は同じじゃないか・・。

なんだ、そうだったのか・・・。

そのことに気づいた時、不思議な感覚に包まれた。
そして、妙な納得感もあった。

私が人生を諦めていた頃に、生まれてきた息子。
諦め切る暇もなく、とにかく生きるしかなかった。

あれから17年も経ち、これまで頑張って働いてきたから、そろそろ隠居してもいいかなと枯れかけていた私に対し、

自ら夢を追いかける姿を見せ、

私の目を覚まし、新たな生きる目的をくれた。

そうか。枯れている場合ではなかった。

私はもっと働こう。もっと生きよう。

諦めるのは、まだ早かった。

いつもいつも、ものすごいタイミングで現れる息子。
その存在で、私を生きる方向へと突き動かす。
一体どんな縁なのだろう。

子供は親を助けるためにやってくるという。

それは本当で、神様はいるのだと思う。

70を過ぎたうちの母が、なんだか張り切っていた。

孫の夢に触発され、生きるモチベーションが湧いてきたのだ。

私達も親にとってのそういう存在だったのかもしれないと、その可能性を知る瞬間。

ワクワクは確かに伝播する。

夢はそれ自体がエネルギーだから。

夢が宿り、
その夢を自分が守り通して、
世の中に出す。分かち合う。

そうすると決めるのは、自分自身しかいない。

恐かったり、迷ったりして、決められない時もある。

けれど不思議な力は、偶然を装いつつ

ちゃんと意味ある場所に、私達を連れて行ってくれる。

静かに、優しく、

生きろ

と促す。

人生とは、生きるとは、

なんて不可思議で

神秘に満ちているのだろう。

そして私達をいつの間にか生へと運び押し流すその潮流は、

誰かの夢だったり、希望だったり、想いだったり、信じる気持ちだったり、

それらの目に見えない力が根底にあるのだと思う。

いつかの誰かが注いだからこそ生まれる、その潮流。

こうしてその恩恵を受けられることの、幸福。

そのことに深い感謝の想いを馳せ、

私もまた、その太古の流れの中に入っていこう。

失うものなど、何もないのだから。

世界の意識が変わる時

先日、神学を教えている友人の出版記念講演会に行ってきました。

キリスト教のことも聖書のことも、知識はほとんどゼロの私。難しいことはわかりません。

それでも、

絶望の中にこそ神がいること。

イエスは抑圧された者と共に生きること。

そして、抑圧し合うのではなく、抑圧から自らを解放することで、自由と平和を実現していくこと。

それは私の癒しへの想いともシンクロしていて、心を動かされました。

愛が世界の意識を変える

2000年以上前から始まっているそのプロジェクトは、決して派手ではなく、自らと向き合う地道で孤独な作業であり、

闇に光をあてる道であるが故に、その入り口は狭き門なのかもしれません。

それでも、意識を変えるプロジェクトの伝道師であり、革命家のひとりである友人の発する、

誠実さと真摯さと、

静かな情熱のエネルギーに触発されて、

こうして誰かと出会えることの尊さと、

想いに触れそれを共有し合えることの奇跡と、

そんなことを感じて、また少し目が開いたような気がしてます。

あたたかな手

自分の今後についてカードリーディングをしていた時のこと。

カードからのメッセージはこうだった。

「あなたのスピリットの光が消えかけています。

疲れていて、でもあなたはそのことに気づいてすらいないかもしれません。

ガソリンが切れそうになっているので、補給してください。

手を伸ばし、誰かに愛や支援を求めてください。

マッサージを受けることや、温泉に浸かること。公園に行くことやペットと遊ぶこと。

それを自分でやるのではなく、誰かにあなたのバランスを元に戻してもらってください。

誰かにあなたを満たしてもらうことは、あなたの助けとなるばかりではなく、

世界を満たすことになるのです。」

自分から何かをしたり、進んで仕事をすることならできる私は、

人に頼んだり、ましてや愛や支援を求めることはあまり得意ではない。

(女王様のように上から目線で指示や命令をすることはあるとしても・・・。)

それ、苦手なやつやなぁ。でも、気づいていないというところは当たってるなぁ。

と思った私は、近くにいた息子に頼んでみることにした。

「お母さん疲れてるみたいだから、手を揉んでもらってもいい?」

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春と変容

この春から高3になる息子が、週2でバイトを始めた。

早朝のオフィス清掃の仕事。昨日も4:50起床で家を出ていった。

学校に支障がないよう、その仕事を選んだのだ。

中学の時は不登校気味で、テストもほぼ受けていないから、成績は惨憺たるもの。

昼夜逆転生活が続き、朝寝て夕方に起きるような日々。

昼夜問わずオンラインゲームばかりやって、私ともよく喧嘩をした。

そんな状況下で、私は息子の将来に希望を見出すことができなかった。

けれどその後の様々な紆余曲折を経て、

今は学校が楽しいと言って、春休みでも毎日学校に行き制作にいそしむ。

将来やりたいことが明確に決まっていて、ひとりで志望校のオープンキャンパスにサクサクと出かける。

去年栃木から東京までの100キロを自転車で家出して、そのまま東京に置いてあった自転車も、先日の週末にひょいと乗って、10時間かけて栃木に戻って来ていた。

そしてこの春、バイトまで始めた。

息子の活躍ぶりに、母は色々と追いつかない。。

同じ人とは思えないし、一体息子の内面でどのような変容が生じたのだろう。

こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。

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