不幸と幸福

私の知り合いが、ごく最近、新聞沙汰になった。

自分の話ではないので、ここに詳細は書けないが、私自身も密かにショックを受け

どうしてこのようなことが起こったのかを、じっと考え続けていたものである。

出版したり、講演したりと大活躍していた彼が、いま全てを失ってしまったことは

悲劇としか言いようがないが、

このような出来事は、誰にでもいつだって起こりうることであり、

とても彼を責める気にも、

愚かだと笑う気にも、

なれないのである。

彼とは仕事上の付き合いであり、私生活がど

のようであったかはあまり知らなかった。

だからこの事件は、私にとって青天の霹靂であった。

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場所の記憶

私は、歩くことが好きである。

最近は特に尾道が好きで、ここ一年で2、3度ひとりで訪れている。

いつか尾道にアトリエを構えたいと、密かに、でも本気で思っているくらいである。

尾道が好きな理由はいくつかある。

中でも、その昔に良質な港町で、北前船が寄港していたこともあり、今もどことなく華やかな気を残していることや、

場所の記憶を豊かに湛えていて、その風情に心を掴まれることが

最たる理由である。

場所の記憶というのは、ちょっとうまく説明ができない。

それは自分が感じとるものであって、誰もがはっきりと認識できる種類のものではないのだと思う。

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決まっているということ

目の前の出来事に一喜一憂するということがある。

恋愛をしている時など特に、相手の一挙手一投足に不安になったり喜んだり、忙しい。

彼は自分の運命のパートナーなのか否か。考えてばかりいたりする。それはそれで甘やかでもあり苦しくもある、恋の醍醐味かもしれないのだが。

先日、私はフランス大統領マクロン氏とその夫人の記事を読んでいた。

25歳上の夫人は氏の中学時代の恩師で、出逢った頃夫人は既婚者であったことも有名な話であろう。

私は日頃ゴシップ的なことにはあまり興味がないので、その記事を読んだのはごく最近である。

けれど、2人が並んで写っている写真を見た時に、私は何だか妙に納得したのである。

そして、その納得感は

そうか、こうなると決まっていたのか

と、いやおうなしに感じさせる何かが、その2人の姿から放たれていたことから来ている。

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希望のシナリオ

最近気づいたことがある。

私には、自分の気持ちをわかってもらえないと、

どうしようもなく悲しくなり、涙が出てきてしまい、

それだと日常生活で困惑する・されるケースが多いので

それを避けるために、無意識に書いたシナリオがあるということに。

それは、わかってもらえないことで悲しまなくて済むよう

わかってもらえない現実を作り出すことで

ほらね、わかってもらえないでしょ?

どうせわかってもらえないんだから、

わかってもらうということをはじめから諦めよう。

そして傷つくのを防ごう。

というものである。

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悲しみの井戸

私は恐い思いをすると、感情が麻痺するというか

心が凍りついて動かない、という状態になることがある。

そのような時は、何をしていても心がしーんとしており

とても白けた気持ちであり、

目の前で起きていることが

何か遠い出来事のような

ただの映像を見ているような感覚で、

現実味がない。

喜怒哀楽があまりないので、必然的に顔の表情も乏しくなり、

恐らく能面のようになっているだろうと思う。

自分がそのような状態になった時は、

きっと過去に何かショックなことがあったのだろう

恐い想いをしてトラウマがあるのだろう、と

それが何なのかを特定できていなくても

そう解釈することにして、

でもそれは今起きていることではなく、

もう終わったことなのだと

自分に語りかけるのである。

すると時を置いて、何かが少しずつ溶け出すように

そこはかとない悲しみが

ふわっと立ちのぼってくる。

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うれしい知らせ

今日、元パートナーから久しぶりにメールがきた。

この春から大学の副学長に就任したという知らせであった。

 私と結婚した時はまだ助教授だったから、大出世ではないか。

 

すごいね!!おめでとう!!!とすぐに返信した。

 

結婚していたものの、仲が悪かった時は、

 あれで助教授が務まるなんて、どうかしてるぜ。

 と本気で思っていたし、正直教授になれるかどうかも怪しいと思っていた。(本当にごめんなさい・・・)

 が、私の見立ては大きく外れたということになる。

 外れたものの、これは幸せな外れかたである。

 出世イコール幸せとは限らないけれど、

 彼の努力が実を結んだということは、ただただうれしく、祝福したいし、

 そして、彼の成功を心から喜べる自分であることも、とてもうれしい。

誰も何も失うものがなく、関係者全員にとって良きことであった時の、平和な喜びである。

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職場にて神と遭遇

職場の後輩に、「知らなかったです」で済まされてしまうことが気になっていた。

例えば海外出張のルールや就業規則。

始めから逐一説明してあげても頭に入らないし、情報量も膨大だから、前もってこちらから説明することはしない。

どこにルールブックが置いてあるかさえ教えてあれば、自分が必要と思ったタイミングで調べられるし、それが最も効率的だと思っている。

聞かれればもちろん教えてあげるのだが、そもそも聞かれることがない。

どこがわからなくて何を知りたいのかを、自分から聞いてくれなかったら、こちらもどんな情報を与えてあげたらいいかわからない。

そして当人は何も考えないまましばらくほったらかしにしてて、直前になって問題が勃発し、その時になって発せられる言葉が

「知らなかったです」

となる。

あなたの人生はひたすら待ちなのか!?人生を主体的に生きる気はないのか!?

と猛烈にダメ出ししたい気持ちに駆られた時、ふと、自分も人生でこのような状態になっていないかと、内臓がひやりとした。

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あたりまえのこと

昨日息子と話していた時のこと。

そもそも反抗期なので日頃あまり口をきいてもらえないのだが、

昨日はたまたま話題が進路のことだったので、キレられたり、グチられたり、励ましたり、誤解を解いたりしながらも話をすることができた。

最後に席を立つ際に、息子はポツリ「看病してくれてありがとね」と言った。

2,3日前に息子は発熱したため、私は息子の部屋に布団を持ち込み夜中も看病したのだが、そのことを指して言っている。

看病といっても、頭を冷やすための氷枕を何度か取り替えただけだ。

「看病するなんてあたりまえなんだから、ありがとうなんて言わなくてもいいんだよ。そんなことでありがとうなんて言われたら、お母さんが今までどれだけあたりまえのことをしてあげられてなかったか、気にしちゃう」と私はうじうじ答えた。

そうしたら、

「感謝するのがあたりまえだ」

と返され、

このツンデレ対応に

思わずじーんとした。

「そんな風に言えるあなたは、本当に素晴らしいね」

と心を震わせながら言ったら、

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ごめんねが言えない

ごめんねが言えない時ほど、実は気にしているようにも思う。

私もごめんねが言えない方だ。関係が近いと余計に言いづらい。

言ってしまうと、相手との均衡が崩れるような、水くさくて恥ずかしいような、そんな感じもする。

それではいけないなぁと思う一方で、言わない方がいい時もまたあるように思う。

小学生の頃、隣の席の吉田君と仲が良かった。

仲が良い、というのは語弊があるかもしれない。気心知れた仲と言った方がいいのか。

小学校高学年というのは大抵みんなツンデレで、低学年の時ほどは素直ではないが、思春期ほどは反抗的ではない、そういう年頃である。

だからその頃の男子と女子は、お互いけなし合いながら気心を通じ合わせていくもので、それを「仲良し」と呼ぶのはちょっと違う気がする。

隣の席とか同じ班の級友というのは、親友ではないが、どこか疑似家族のような、兄弟のような気心の知れ方になってくる感がある。

ある日、習字の授業があった。

習字の授業では、自分の狭い机の上に半紙や筆や硯や見本を置くので、準備が大変めんどくさく、その不自由さも、手が汚れるのも、後片付けの大変さも、思い出すだけでもあー大人になれて良かったと思うのだが、

ある時、吉田君が自分の机から硯を落とし、床に墨をまき散らしてしまった。

そして、私のワンピースの裾にも墨がかかり、黒い染みをつくった。

ただちにしっかり者のクラスの女子達が奔走してくれて、私のワンピースは水道で洗われ、床の墨も拭かれた。

けれど、私の服についた無数の墨の跡は消えなかったのである。

この出来事は、クラスでよく起こる日々の小さな事故のひとつとして取り扱われ、処理されていったわけだが、

吉田君はその日はそれきり私に話しかけてこなかった。

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先日友人と話していて、彼が昔、長いこと片想いをしていたことを知った。

本人はそんな自分のことを馬鹿だと言って、少し恥ずかしそうに笑っていたが、

いつも控えめな友人が湛えている、そのひたむきさや一途さがよく表れた、いい話だなぁと思って私は聞いていた。

結局彼はその長年の片想いの相手とは結ばれずに、その後可愛らしい女性と出会い結婚し、今は良きパパである。

結ばれない相手との恋の苦しさは私にも身に覚えがあるし、それを彼は青春真っ盛りで経験しているわけで、本当に苦しくて切なかっただろうと想像する。

何をしていても相手のことが心から離れず、けれどその人は自分のことを選んでくれない。

それでも想いは消えずに募っていく。胸焦がす日々。

どうやってその人を心から追い出せばいいのか、わからない。

恋の苦しみとは何なのだろうとひとり思い巡らせていた時、ふと、ある知人とのやりとりが思い出された。

彼は35歳くらいで、そろそろパートナーが欲しいと言っていた。なのでどのような人がいいのか聞いてみたところ、返ってきた言葉は

「絶対年下。自分より上だなんて、考えられないよ。出産のこともあるし。」

私はそれを聞いた時に、なんともさもしくて残念な答えだと感じ、それ以上この話題を続けるのがばかばかしくなりやめてしまったと記憶している。

そして今になって、どうして自分がそれをさもしく感じたのかがよくわかるのである。

苦しいくらいに誰かを好きになるということは、豊かな経験である。

たとえその相手と結ばれようと、結ばれまいと。

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