決まっているということ

目の前の出来事に一喜一憂するということがある。

恋愛をしている時など特に、相手の一挙手一投足に不安になったり喜んだり、忙しい。

彼は自分の運命のパートナーなのか否か。考えてばかりいたりする。それはそれで甘やかでもあり苦しくもある、恋の醍醐味かもしれないのだが。

先日、私はフランス大統領マクロン氏とその夫人の記事を読んでいた。

25歳上の夫人は氏の中学時代の恩師で、出逢った頃夫人は既婚者であったことも有名な話であろう。

私は日頃ゴシップ的なことにはあまり興味がないので、その記事を読んだのはごく最近である。

けれど、2人が並んで写っている写真を見た時に、私は何だか妙に納得したのである。

そして、その納得感は

そうか、こうなると決まっていたのか

と、いやおうなしに感じさせる何かが、その2人の姿から放たれていたことから来ている。

それ以来、

もう決まっているのだから

と、結果に対して執着する気持ちが和らいできて、軽やかになってきているのである。

どんなに目の前の相手のことを好きであろうとも、

決まっていた相手でなかったら結ばれないし、

出逢った時はどんな障害があっても、

決まっている相手なら、いつかちゃんと結ばれるのだという

言葉や理屈を超えた、運命というものが持つ不思議な力。

そして、もう決まっているのだから、目の前のことにあまり一喜一憂しなくてもいいのだと、安心感に包まれる一方で、

裏を返せば、運命というその強大な力には抗えないのだという、無力感も覚えるのである。

先日オノ・ヨーコが出演していたNHKの番組を観ていた時も、ヨーコとジョンが出逢ったという事実の下に、運命というその強大で神秘的な力の存在を感じずにはいられず、なんとも言えない気持ちがしたものである。

私にとって運命とは、神の計画であり、大きなエネルギーのうねりであり、過去生からの約束であるが、

日常で運命を感じる場面が増えてきたことで、

その神秘の力と、その抗えない力の恐さのようなものを感じながら

今という瞬間を深く味わうことができることは、

感動的なことでもあり

神秘的な楽しみのひとつでもある。

そして、たとえ運命が決まっていたとしても、

そのなかで最大限生きることを楽しみ、歓び、哀しみ、

時に悩み、苦しみながら

感じ尽くして生きること

そしてその気持ちを誰かと分かち合い、

わかり合いながら生きて行くことが

私達人間が幸せになる道であり、

運命からのかけがえのない贈り物であり、

豊かさそのものなのだと

そんな風に思うのである。

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