朝の邂逅

朝目が覚めて、階下へと向かう。

母とダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら話す。

昨夜見た夢。
息子の話。
人生の不思議さ。
意味のある偶然。

そして、母の話へと移る。

母の中に長くあったしこり。

母とその原家族との怒りや悲しみのドラマ。

拭いきれなかった痛み。

自由という名のよるべなさ。

私の父との間のこと。

才能があったのに、

才能があったが故に、

自分の痛みに飲み込まれてしまった父。

言葉がいらないくらい、敏感に察することができる2人だったのに

いつしか溝ができてしまったこと。

そこにあった数々のすれ違いや、誤解。

がっかりしたことや、苦いままの思い出。

あまり語られてこなかった、母の後悔。

けれど私は思う。

後悔は、愛が深いからこそ抱くものであり、

痛みは、心が柔らかくて繊細だからこそ、生じるものなのだと。

だから誰も悪くない。

ただ愛が深いだけ。心が柔らかいだけ。

痛みの下にたくさんあった、才能や愛。

そこにある、父母の真実の姿。

 

そしていま、それらが少しずつ紐解かれて行って、

新しい光のもとで見直してみると、

ひとつひとつの出来事に潜む

「癒しなさい」という小さな呼び声。

つらい時でも、ずっと何か大いなるものに守られていたという、

その感覚。

大変なことも、悲しいことも、たくさんあったけれど、

それが全部、今の幸せに繋がっていたという、

慈愛の存在。

話しながら、母は泣いていた。

私も泣いていた。

私達は同志だった。

そして時と共に形を変えながら、今も深く繋がっている。

悲しみも絶望も、喜びも真実も、分かち合いながら。

 

諦めても、諦めても、

また立ち上がるだけなのだと思う。

諦めないなんて無理だから。

諦めて。

諦めて。

諦めの底から、何かを掴んで

また始めるだけ。

でも、それでいいんだ。

と、そんなことを思った。