希望のシナリオ

最近気づいたことがある。

私には、自分の気持ちをわかってもらえないと、

どうしようもなく悲しくなり、涙が出てきてしまい、

それだと日常生活で困惑する・されるケースが多いので

それを避けるために、無意識に書いたシナリオがあるということに。

それは、わかってもらえないことで悲しまなくて済むよう

わかってもらえない現実を作り出すことで

ほらね、わかってもらえないでしょ?

どうせわかってもらえないんだから、

わかってもらうということをはじめから諦めよう。

そして傷つくのを防ごう。

というものである。

しかし、このシナリオには実は欠陥がある。

結局は欲しいものを諦めるという行為でエネルギーを消耗しているし、

なんだかんだ言いながら傷つくし、

欲しいものも手に入らない

という点である。

けれど、よく考えてみたら

そうではないオリジナルのシナリオがあったことを思い出す。

わかってもらえなくて

悲しんで

またわかってもらえなくて

また悲しむ

それでも、きっと次こそは、と

希望の糸を繋ぎ、紡いでいって

いつか

ついにわかってもらえた時、

わかってくれる人が現れた時に

そこで感じる喜びが大きいように。

この出会いが

かけがえのないものだと気づくように。

そして、

ここに至るまでに

なぜこんなにもたくさんの

悲しみを乗り越える必要があったのか

その意味が、よくわかるように。

そしてその意味を伝えることで、

多くの人を励ませるように。

私達は常に、どちらのシナリオを採用するのかを

選ぶ権利を持っている。

一見自分を痛みから守ってくれているようでいて、

本当に欲しいものを手に入れることはできないという

恐れに基づいたシナリオか、

痛みを通って、その先にある

本当の幸せや欲しいものをついに手に入れるという

希望のシナリオである。