場所の記憶

私は、歩くことが好きである。

最近は特に尾道が好きで、ここ一年で2、3度ひとりで訪れている。

いつか尾道にアトリエを構えたいと、密かに、でも本気で思っているくらいである。

尾道が好きな理由はいくつかある。

中でも、その昔に良質な港町で、北前船が寄港していたこともあり、今もどことなく華やかな気を残していることや、

場所の記憶を豊かに湛えていて、その風情に心を掴まれることが

最たる理由である。

場所の記憶というのは、ちょっとうまく説明ができない。

それは自分が感じとるものであって、誰もがはっきりと認識できる種類のものではないのだと思う。

建物や、道や、木々や、岩は、

悠久の歴史の中で

数々の出来事や

人々の想いを

静かに目撃してきた。

そして、

市井の暮らしの中に潜む、

日々のささやかな喜びや

どうしようもない哀しみや

閉塞感の中にある仄かな希望や

日常の幸せの中にあるなんとも言えないやるせなさが

ぎゅっと凝縮され

その場所に記憶されている。

と、そんな風に私には感じられるのである。


だから、ただ歩いているだけで、

幾多の切ない物語を垣間見たような

様々な想いに身を焦がしたような

そんな気持ちがしてくるのである。

青空のもと、風に吹かれながら山の中腹でのんびりと海を眺める時も、

夕方になると鳴り出す、お寺の鐘の音を聴きながら

一日が暮れていく瞬間、どこから来るともない寂寥感に満ちる時も

そこで遥か昔から延々と営まれてきた暮らしと、自分が重なり溶け合うような気分になる。

そして、これを書いている今も、鮮烈にその場所と記憶達が呼び覚まされ、

私の心は、一瞬にしてそこに呼び戻されるのである。

そのような場所と出逢えることは、幸いである。

数々の大事な人との出逢いも素晴らしいが、

場所との出逢いもまた、同じようにかけがえのないものである。