不幸と幸福

私の知り合いが、ごく最近、新聞沙汰になった。

自分の話ではないので、ここに詳細は書けないが、私自身も密かにショックを受け

どうしてこのようなことが起こったのかを、じっと考え続けていたものである。

出版したり、講演したりと大活躍していた彼が、いま全てを失ってしまったことは

悲劇としか言いようがないが、

このような出来事は、誰にでもいつだって起こりうることであり、

とても彼を責める気にも、

愚かだと笑う気にも、

なれないのである。

彼とは仕事上の付き合いであり、私生活がど

のようであったかはあまり知らなかった。

だからこの事件は、私にとって青天の霹靂であった。

誰にだってある心の隙。その隙に入り込まれて、転落してしまうこと。

けれどよくよく考えてみたら、いきなり転落するということはないわけで

きっと見えないところで、転落は以前から少しずつ始まっていたのだと思う。

始めは小さな隙だったのに、それが少しずつ広がっていって、

知らぬ間に土台を蝕ばみ、それがこの大転落に繋がったのだろう。

彼が今後どのように社会復帰するのかは、わからない。

これ以上ないというくらい神妙な様子で謝罪の電話をかけてきた彼から事情を聞き、私に促されとても控え目に彼自身の見解を告げた時、私は彼がある意味陥れられたのだということがわかった。

それでも、隙があったことは確かであり、罠に落ちた自身の甘さと愚かさを責める彼に対して、私はこう言った。

「それだけあなたは、幸せだったということですね」

その言葉を聞いて、彼は堰を切ったように

泣きじゃくった。

そう、彼は幸せだったのだ。ちょっと前までは。

けれど幸せの真っただ中にいる時は、そのことに気がつかないものである。

失ってから、はっきりと気がつくのである。

私は、その場所からどうか這い上がって、またいい仕事をして欲しいと告げた。

あなたの素晴らしい仕事を必要としている人達がいるからと。

そして、いま目の前にある幸せが、いかに尊いか、いかに素晴らしいかを、

人の心に深く訴えられるような人になって欲しいと。

失ってからでは遅いのだと、強く訴えかけられる人に。

幸せの意味を教えてあげられる人に。

私達はともすれば、目の前にある幸せを見逃しがちである。

けれどこの出来事は、今ここにこうしてあることが、

一瞬一瞬がいかに幸せに満ち、奇跡であるかを

改めて私に教えてくれたのである。

このことに気づけたら、もう何も恐くない。

人生最大の不幸が、人生最大の幸福を、同時に教えてくれるということは

なんとも皮肉であり、

また、救いでもあると

そんな風に想う。

そして私もまた、

いつだっていまこの瞬間に幸せと選択があるのだということに

光を当てるような、

失う前にそのことに気づけるような

そんな仕事をしていきたいと

改めてそう思うのである。