デジャ・ヴ

デジャ・ヴに遭遇した時の、不思議な感覚が好きだ。

 

近所に、小高い山がある。都会のど真ん中に位置する、その山の上には神社がある。

そこからぐるり山沿いに配した階段を下りていく時の光景が、とても美しい。

 

薄い水色と淡い茜色が柔らかく混ざった空と、森の深い緑。

少しずつくだっていく、長い木の階段を歩いていると、森に抱かれつつ、空に浮かんでいるのだと、一瞬錯覚する。

 

階段が始まるところから、木々は鬱蒼と繁りトンネルのようになっている。

ある初夏の宵のこと、そこに立っていると、ふと、この光景をどこか知っているような気がした。

 

あぁ、デジャ・ヴかしら。

 

そう思った。

宵といっても、まだ太陽の名残のある、明るいブルーの空。静かだとはいえ、生命力にみなぎった木々たち。

 

私は、いつどこで、この光景を見たのだろう。

 

記憶を辿る。

子供の頃のことなのかもしれないし、映画で似たようなシーンを観たのか、はたまた今世ではないのか。

特定することなどとてもできずに、早々に諦める。

それでも、深い部分で知っているという感覚と、心に映しだされる情景を、静かに追いかける。

 

それはどこか外国の地だったような気もする。

ヨーロッパのとある陽気な街。日が沈んだばかりのまだ明るい空の下、オリーブの木が繁る場所で、生き生きと見上げた光景。

 

もしくは、日本の古都。

提灯の明かりがぽつりぽつりと灯る時分。夜店が開いてにわかに街が活気づいてくる、その空気感を肌で感じながら、静かに心弾ませ、どこかに向かっている光景。

どちらも私の子供の頃の記憶ではなさそうだけれど、不思議と、これは私の中に昔からあり続けている、原風景だと感じた。

 

その原風景が、目の前の光景と重なり、

ほかにも季節や時間帯や、匂いや温度や、その時の心情や空気感や、色んな条件が重なって、

デジャ・ヴに遭遇できたのかもしれない。

 

あぁ、懐かしいな。

 

そう感じた。

そして次の瞬間、たまらない気持ちになった。

 

それはもう失われてしまった。

そのことを知るから。

 

自分の中からふいに立ちのぼるこれらの光景は、きっと、いつかの私の心に強く捺されたものなのだろう。

 

あまりに幸福で、忘れてしまいたくないから。という理由で。

 

いつの間にか地上におりていた私は、その先にある禅寺の庭園に、青紫色の紫陽花が咲いているのを見つけた。その美しい姿に、思わず吸い込まれた。

 

この光景は、美しさにうたれた心と共に、私の中に紛れもなくしまいこまれた。

 

これまで長い間、私はたったひとりで紫陽花を見てきたことに気がついた。一緒に見る相手がずっといなかったから。

私は一体いつまで、紫陽花の季節をひとりで過ごすのだろう。と、少し気が遠くなる。

 

けれど、孤独だったからこそ、見たり感じたりできた光景もあっただろう。

私はこれまでひとりで見てきた景色も好きだ。と、そう思った。

 

そしてふと、予感した。

いまこのことが起きたのは、いつか誰かと一緒に紫陽花を見た時に、この光景を思い出すためなのかもしれない。

 

失ったものと、得たもの。

それらに、いつか思いを馳せ、

失ったものを偲び

得たものに深く感謝する時のために。

その場面が一瞬、心をよぎった。

 

これもひとつの、デジャ・ヴだったのかもしれない。