ふたりで歩く

誰かとふたりで歩くということを、久しくしていなかった。

 

それは、駅まで歩くとか、

会社まで戻るとかの、

「手段」として歩くことではない。

歩くこと自体を目的とした、「歩く」ということ。

 

誰かと一緒に歩くと、その相手のことが、よくわかる気がする。

その人の、いままで知らなかった側面が、浮かびあがるから。

 

なにを話すかは、あまり重要ではない。

むしろ言葉は邪魔だったりする。

それよりも、一緒にいてどんな感じがするかとか、

どんな気分になるかが大切。

その日、街路樹の緑は目に鮮やかで、

広々とした道に、爽やかな風が吹き抜けていた。

ゆるやかな坂をのぼったり、くだったりしながら、

街も人も活気に満ちていて、

太陽も眩しい。

 

そんななかをふたりで歩いていると、

楽しい気分になったり、

次はこれしたい、あそこに行きたい、など

色んな場面が思い浮かんだりする。

 

ひとりで見るのとはまた違った、

景色が見えたり、

印象を受けとる。

 

ふたりで歩くということが、思いがけずわたしに、

新しい世界を見せてくれた。

いつもとは違う時間に、

いつもとは違う道で。

 

私は少し驚いた。

グループでわいわい楽しんだり、

ひとりで思索にふけりながら歩くのとは、

また別のインスピレーションを受け取ったから。

 

ひとりの人間が亡くなるのは、1つの図書館の喪失と等しいのだと、読んだことがある。

本当にそうだと思う。

 

その人の一生分の経験なり、気づきなり、感慨なりが、言葉にならないその存在というものに詰まっていて、

一緒に歩いていると、語らずとも、

それがふわり漂い、

混ざりあい、

私たちに影響を与える。

 

初夏の昼下がりの、つかの間の休息がわたしにもたらしくてれた、

思いのほか大事なピース。

 

誰かとふたりで歩くことの良さを、

心で知った瞬間である。