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本当の自分と出逢う旅のはじまり

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直感コンサルティング
【直感コンサルティングとは?】 直感コンサルティングとは、あなたの波動...
イベント情報
10月16日(火) 7:30〜9:00   朝活@乃木坂 11月11日...

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私が愛してやまないことのひとつに、目に見えないものに光をあて、言葉を与え、それを世に送り出すことがあります。

想い、パッション、夢、ビジョン

魅力、才能、可能性、人生の目的

これらは人の内面の奥深くにしまいこまれていて、いざなわれるのを待っています。

それは私達がこの世界のために持ってきた贈り物。

せっかくそれを携えて生まれてきたのに、その贈り物の存在に気づかないままでいいのでしょうか。

それを眠らせたままで、死ぬ時に後悔しないでしょうか。

出逢う約束としていた人達と、会わないまま、約束を果たさないままでいいのでしょうか。

私はそうは思いません。

やらなくて後悔して欲しくないからです。

私達がその贈り物を受け取り、世界に与えると決めた時、

人生は変容します。

そう生きると決めてきたプランに従って、人生が完璧に展開していたことに気がつき、

偶然が必然に変わります。

 

点と点が繋がり、線となる瞬間。

そして、すべてが運命だったと気づく瞬間。

 

その美しい瞬間に立ち合うことや

私達がもともと持ってきたその贈り物に光を当て、言葉を与え、引き出すサポートをすることに

私は尽きることのない情熱と、歓びと、燃えるような人生の目的を持っています。

ご縁のある方と、約束してきた通りに出逢え、お役に立てることを楽しみにしています。

Today's キーワード

ピンと来たキーワードをピックアップしてみましょう。
真実
真実には、それ自体にパワーと魅力があります。 真実のパワーは、人の目を開かせ その魅力で人々を惹きつけます。 あなたの真実は何ですか? あなたの真実と繋がって、 パワフルで魅力全開な日をお過ごしください。  
続きを読む "真実"
神聖さ
あなたの日常には、どれくらい祈りがあるでしょうか? 祈りはあなたの周波数を神様に繋げる行為です。 祈りはあなたの神性を目覚めさせ、 あなたの中を通って 世界に神の息吹をもたらします。 祈りから始まる、神聖な一日をお過ごしください。
続きを読む "神聖さ"
美しさ
美しさ、優美さ、甘美さ。 それはこの世界を潤し、喜びで満たす、天からの贈り物です。 あなたの日常はどれくらい美で彩られていますか? ひとりひとりの中に必ず存在している、それぞれの美しさ。 それを認めるごとに、私たちの存在は輝きます。 今日はあなた自身の美をしっかりと所有しましょう。
続きを読む "美しさ"
楽しむ
日常には様々な楽しみが潜んでいます。 人とのおしゃべりや触れ合い パートナーとの親密なコミュニケーション 美しい景色を見て、空気を感じること 心静かに読書する時間。 その全てが神様からの贈り物です。 今この瞬間もあなたにもたらされている贈り物は何ですか? それを受け取り、目一杯楽しんでください。 あなたの今日が楽しさに満ち溢れた日になりますように。  
続きを読む "楽しむ"
誠実さ
自分に対して誠実であることが、 全体に対して最も誠実なあり方であり、 全体の幸せへと繋がります。 自分が感じていること、 自分が思うこと、 たとえそれがポジティブであれ、ネガティブであれ、 自分がそう感じるのだということに対して、 誠実に受け止め、許容していきましょう。 自分に対する誠実さが、世界を救います。 今日が素晴らしい一日となりますように。    
続きを読む "誠実さ"
つながり
今日のキーワードは「つながり」 昨日の「信じる」ともリンクしていますが、 自分自身とのつながりを大事にすることを意識してみましょう。 不安に駆られた時や、 自分を信じられなくなった時、 自分以外の何かにパワーを預けてしまいそうになります。 そんな時は深呼吸して、 改めて自分自身のエネルギーへとつながり直すことによって 安寧を得られるでしょう。 今日は自分の中で憩い、安らぎの中で過ごす一日となりますように。  
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シンクロニシティからのメッセージ

日常に溢れるメッセージを、シンクロニシティーから受け取ります。
自分を表現する
表現することを恐れた時は、 思い出して欲しい。 私達が求めているものは、 「完璧なあなた」という表現では決してなく、 「そのままのあなた」という表現。 人はそこに美しさを見るのだから。 その表現にこそ...
続きを読む "自分を表現する"

Blog

日々の徒然なることを綴っています。

秋の気配

家族4人で山に来ている。

秋になると、山にきのこを採りに行くのは、

私が小さい頃からの家族行事だ。

ただし、父母の山への熱意は、実に家族行事以上のものがあり、

2人の職人性が発揮される場でもあった。

私は山から滑り落ちてトラウマになることもあったし、

両親は山で熊にも何度か遭遇したりしている。

それでも、2人は山へ行くことを決してやめなかった。

父はもう亡くなっているので、あの頃の熱意を引き継いでいるのは

母だけになり、兄と私と息子は、母の付き添いのような形だ。

母もさすがにもう高齢なので、滑落しそうな険しい山には分け入らなくなった。

山へ行く日の朝は、とんでもなく早起きをして暗いうちから出発する。

私は正直そこまで山にもきのこにも興味がないので、

嬉々として準備をし、山に着くと疲れも知らず一心不乱に何時間もきのこを探す、

母のその熱意の出所が不思議である。

家を出る際に、ガレージの中を久しぶりに見た。

数年前に実家を建て直してから、私はあまり立ち入っていなかった場所だ。

私のお雛様や、兄達の兜や、亡き父の釣り道具など

捨てるには忍びないが、もう使いようがないもの達が置いてある。

それを何気なく見ていると、

父母の歩いてきた人生の軌跡が

家族の輪郭を描きながら、ふいにリアリティを伴って立ちのぼってきた。

若かりし頃の2人が手探りで家庭を営み、会社を経営しながらの忙しい中で、

懸命に私達兄弟を育て、

その中で可能な限り人生も謳歌したのだということが

そこにひっそりと積まれたもの達から、

ある重みを持って伝わってきた。

私は今まで気がつかなかったけれど、

たとえ問題と混乱を抱えていても、家族を守り導くべく奮闘する両親の気概と、

責任感と、

健気に生きた証を見た気がした。

自分もその時の両親と同じような歳になってみると、

私が彼らよりとても気楽に、身軽に生きてきてしまったことを思い知る。

私のミニマムな暮らし方は、見方によっては無駄が少ないとも言えるので、

彼らとは生きた時代が違うといえばそれまでだけれど、

その一方で、人生に対して消極的なのかもしれない、とも感じる。

彼らの、がむしゃらに何かを築き上げようとする姿勢が、

こうして家だったり、

ガレージに鎮座する多くのものとして残されているような気がした。

原家族にあまり恵まれなかった父母が、自分達の家庭こそはと抱いた、

理想や期待や願いと、

それとは違う現実。

違かったとはいえ、

彼らが家族に与えたかったもの。

自分達が得られなかったが故に。

その時、わたしは目の覚めるような想いで、

両親の素晴らしさを知ったのである。

両親だけではない。

そこには、兄の私物も現在進行形で置かれているのだが、

サーフィンの道具や、自転車や、その他の色んな道具を見ていると、

普段は物静かであまり主張しない兄が、自分なりに人生を楽しみ、味わっている様子が伝わってきた。

私は、兄の素晴らしさも思った。

そして、人の素晴らしさを思った。

私は今までなんて人間のことを軽んじていたのだろう、

と恥じた。

けれどこれは、健全な恥の気持ちである。

みんな健気に生きていて、

批判されるべき人などいない。

ささやかな活動の中にも、

守るべき人達への愛や、

想いや、

慎ましく人生を味わう気持ちが

潜んでいる。

無駄だったり、非効率だと思うものの中に、

大切な意味や、込められた想いが潜んでいる。

みんな健気に生きていた。

私は、胸打たれた。

涙が頬をつたった。

身近な人達のことは、わかっているようで意外とわかっていない。

父のこと

母のこと

兄達のこと

ガレージは実家のすぐ横にあったのに、

そこに立ち入るまで気づかなかったこと。

本当に大事なものや、

当たり前にしてしまっているけれど、素晴らしいものは、

日常の自分のすぐ近くにあるのだと

改めて思い知ったのである。

私の中で何かが溶けていくのを感じた。

兄の運転する車の中で、そんな想いに浸っていると、

いつの間か車窓には、見事なまでの錦秋の山々があった。

朝の邂逅

朝目が覚めて、階下へと向かう。

母とダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら話す。

昨夜見た夢。
息子の話。
人生の不思議さ。
意味のある偶然。

そして、母の話へと移る。

母の中に長くあったしこり。

母とその原家族との怒りや悲しみのドラマ。

拭いきれなかった痛み。

自由という名のよるべなさ。

私の父との間のこと。

才能があったのに、

才能があったが故に、

自分の痛みに飲み込まれてしまった父。

言葉がいらないくらい、敏感に察することができる2人だったのに

いつしか溝ができてしまったこと。

そこにあった数々のすれ違いや、誤解。

がっかりしたことや、苦いままの思い出。

あまり語られてこなかった、母の後悔。

けれど私は思う。

後悔は、愛が深いからこそ抱くものであり、

痛みは、心が柔らかくて繊細だからこそ、生じるものなのだと。

だから誰も悪くない。

ただ愛が深いだけ。心が柔らかいだけ。

痛みの下にたくさんあった、才能や愛。

そこにある、父母の真実の姿。

 

そしていま、それらが少しずつ紐解かれて行って、

新しい光のもとで見直してみると、

ひとつひとつの出来事に潜む

「癒しなさい」という小さな呼び声。

つらい時でも、ずっと何か大いなるものに守られていたという、

その感覚。

大変なことも、悲しいことも、たくさんあったけれど、

それが全部、今の幸せに繋がっていたという、

慈愛の存在。

話しながら、母は泣いていた。

私も泣いていた。

私達は同志だった。

そして時と共に形を変えながら、今も深く繋がっている。

悲しみも絶望も、喜びも真実も、分かち合いながら。

 

諦めても、諦めても、

また立ち上がるだけなのだと思う。

諦めないなんて無理だから。

諦めて。

諦めて。

諦めの底から、何かを掴んで

また始めるだけ。

でも、それでいいんだ。

と、そんなことを思った。

不思議な力

私と母と息子の親子三代で、息子の進路に関して家族会議をした。

学費とか就職率とかの数字で決めるのはやめよう。
計算ではなく、純粋にどの学校に行ったらワクワクするのか。
それで決めよう。

結果、ほどなくして満場一致であっさり決まった。

願書を書くにあたり、志望動機をどうやって書いたらいいのか悩んでいる息子に、あれこれインタビュー。

なぜそのキャリアを選ぼうと思ったのか。
どうしてそれが好きなのか。

息子にとっては自然すぎて、改めて考えたり言語化してこなかったこと。
私も今まで聞いたことがなかった、彼の世界。

いくつかの問いの先にあった彼の答えは、私には意外なものだった。

「人を癒すようなものを創りたい」

なんだ、そうか。
表現のツールは全然違うけど、根っこは私と同じなのか。
なんだなんだ、やっぱり親子なんだな。
そういえば、うちの母も同じだな。

結局、親子三代、目的は同じじゃないか・・。

なんだ、そうだったのか・・・。

そのことに気づいた時、不思議な感覚に包まれた。
そして、妙な納得感もあった。

私が人生を諦めていた頃に、生まれてきた息子。
諦め切る暇もなく、とにかく生きるしかなかった。

あれから17年も経ち、これまで頑張って働いてきたから、そろそろ隠居してもいいかなと枯れかけていた私に対し、

自ら夢を追いかける姿を見せ、

私の目を覚まし、新たな生きる目的をくれた。

そうか。枯れている場合ではなかった。

私はもっと働こう。もっと生きよう。

諦めるのは、まだ早かった。

いつもいつも、ものすごいタイミングで現れる息子。
その存在で、私を生きる方向へと突き動かす。
一体どんな縁なのだろう。

子供は親を助けるためにやってくるという。

それは本当で、神様はいるのだと思う。

70を過ぎたうちの母が、なんだか張り切っていた。

孫の夢に触発され、生きるモチベーションが湧いてきたのだ。

私達も親にとってのそういう存在だったのかもしれないと、その可能性を知る瞬間。

ワクワクは確かに伝播する。

夢はそれ自体がエネルギーだから。

夢が宿り、
その夢を自分が守り通して、
世の中に出す。分かち合う。

そうすると決めるのは、自分自身しかいない。

恐かったり、迷ったりして、決められない時もある。

けれど不思議な力は、偶然を装いつつ

ちゃんと意味ある場所に、私達を連れて行ってくれる。

静かに、優しく、

生きろ

と促す。

人生とは、生きるとは、

なんて不可思議で

神秘に満ちているのだろう。

そして私達をいつの間にか生へと運び押し流すその潮流は、

誰かの夢だったり、希望だったり、想いだったり、信じる気持ちだったり、

それらの目に見えない力が根底にあるのだと思う。

いつかの誰かが注いだからこそ生まれる、その潮流。

こうしてその恩恵を受けられることの、幸福。

そのことに深い感謝の想いを馳せ、

私もまた、その太古の流れの中に入っていこう。

失うものなど、何もないのだから。

世界の意識が変わる時

先日、神学を教えている友人の出版記念講演会に行ってきました。

キリスト教のことも聖書のことも、知識はほとんどゼロの私。難しいことはわかりません。

それでも、

絶望の中にこそ神がいること。

イエスは抑圧された者と共に生きること。

そして、抑圧し合うのではなく、抑圧から自らを解放することで、自由と平和を実現していくこと。

それは私の癒しへの想いともシンクロしていて、心を動かされました。

愛が世界の意識を変える

2000年以上前から始まっているそのプロジェクトは、決して派手ではなく、自らと向き合う地道で孤独な作業であり、

闇に光をあてる道であるが故に、その入り口は狭き門なのかもしれません。

それでも、意識を変えるプロジェクトの伝道師であり、革命家のひとりである友人の発する、

誠実さと真摯さと、

静かな情熱のエネルギーに触発されて、

こうして誰かと出会えることの尊さと、

想いに触れそれを共有し合えることの奇跡と、

そんなことを感じて、また少し目が開いたような気がしてます。

あたたかな手

自分の今後についてカードリーディングをしていた時のこと。

カードからのメッセージはこうだった。

「あなたのスピリットの光が消えかけています。

疲れていて、でもあなたはそのことに気づいてすらいないかもしれません。

ガソリンが切れそうになっているので、補給してください。

手を伸ばし、誰かに愛や支援を求めてください。

マッサージを受けることや、温泉に浸かること。公園に行くことやペットと遊ぶこと。

それを自分でやるのではなく、誰かにあなたのバランスを元に戻してもらってください。

誰かにあなたを満たしてもらうことは、あなたの助けとなるばかりではなく、

世界を満たすことになるのです。」

自分から何かをしたり、進んで仕事をすることならできる私は、

人に頼んだり、ましてや愛や支援を求めることはあまり得意ではない。

(女王様のように上から目線で指示や命令をすることはあるとしても・・・。)

それ、苦手なやつやなぁ。でも、気づいていないというところは当たってるなぁ。

と思った私は、近くにいた息子に頼んでみることにした。

「お母さん疲れてるみたいだから、手を揉んでもらってもいい?」

larm-rmah-219228-unsplash

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春と変容

この春から高3になる息子が、週2でバイトを始めた。

早朝のオフィス清掃の仕事。昨日も4:50起床で家を出ていった。

学校に支障がないよう、その仕事を選んだのだ。

中学の時は不登校気味で、テストもほぼ受けていないから、成績は惨憺たるもの。

昼夜逆転生活が続き、朝寝て夕方に起きるような日々。

昼夜問わずオンラインゲームばかりやって、私ともよく喧嘩をした。

そんな状況下で、私は息子の将来に希望を見出すことができなかった。

けれどその後の様々な紆余曲折を経て、

今は学校が楽しいと言って、春休みでも毎日学校に行き制作にいそしむ。

将来やりたいことが明確に決まっていて、ひとりで志望校のオープンキャンパスにサクサクと出かける。

去年栃木から東京までの100キロを自転車で家出して、そのまま東京に置いてあった自転車も、先日の週末にひょいと乗って、10時間かけて栃木に戻って来ていた。

そしてこの春、バイトまで始めた。

息子の活躍ぶりに、母は色々と追いつかない。。

同じ人とは思えないし、一体息子の内面でどのような変容が生じたのだろう。

こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。

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友と祈り

とある気になる出来事があり、親友にメッセージで相談していた時のこと。

その友は、私以上に立腹し、親身になってくれる、正義感の強い人であり、

友情に篤い、私の大好きな友である。

そして、メッセージでのやりとりが続くなか、

友が想いを寄せ合っている人の話になった。

彼らの間には幾多の越えなければならない問題がある。

彼女の

「だから彼のことが今も好きなんだと思う私は。

私が私らしく善人でいられる、彼のそばだと。

自分の好きなことにすごく真っ直ぐな私でいられるんだよね。」

という言葉を読んだ時、

その真実が

ピュアな波動が

まっすぐな想いが

ふいに私の心を貫いて

ハートがじんとして、

震えた。

彼女がどんなにか彼のことを好きなのかが、

その言葉から

波動から

切ないほどに伝わってきたからである。

私は彼女のその想いに胸うたれ、

思った。

どうして想い合っている2人が、色んな回り道をしなくてはならないのだろう。

神さま、もういいではないですか。

そろそろ2人を幸せにしてあげてください、

と。

そのあと堰を切ったように、

悲しみが溢れ出し、

そして、とある映像がどっと心に流れ込んできたのである。

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I’m sorry

私が元パートナーの仕事の都合でアメリカに半年間移り住んだ時のこと。

向こうに行ってすぐに、パートナーは私を置いて日本に戻らなければならなかった。

だから私は身重の体で、1か月間ひとりで異国に暮らすこととなった。

ひとりになった日に、アメリカ人の友人が電話をかけてきてくれた。

そして彼女から「I’m sorry」と言われた時に、

私はどうして謝られたのかわからずに、戸惑った。

その友人は、パートナーの帰国とは何の関係もなかったからである。

後で調べると、「I’m sorry」には「ごめんなさい」という意味の他に、

「お気の毒です」とか、「あなたのお気持ちをお察しします」などの、

相手の不安や悲しい気持ちに共感し、

寄り添う意図で使われる表現があることを知った。

私は、この「I’m sorry」という言葉の意味である

「ごめんなさい」と「お気の毒です」の間に、

大きな隔たりと、それに対する疑問を感じたが

その謎は解けないままに、

いつしか日々の喧騒の中に埋没していった。

しかし、先日あることをきっかけに、ふいにその謎が解けたのである。

長い時を経て。

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世界はあたたかく、そして潤っている

私はずっと自分は応援をもらえないタイプだと思っていたから、

人からの応援に頼らないで済むように、当てにしないで済むように

何でもひとりでやろうとしていた。

そして、恐いと思っていることも、

ひとりで処理しようとしていた。

人に頼らずに。

そしていつも大丈夫なふりをしていた。

内心大丈夫ではないけど、

当てにしても仕方ないし、と

どこかで思っていた。

でも先日、恐いと思っていることを

恐いって言って、

どう恐いのかも話して、

応援して欲しいって言ったら

思いがけず沢山の応援がきた。

私は弱っていたから、

みんなのその気持ちがとても心に沁みて

涙が出た。

ありがたかった。

みんなの応援はこんなにあたたかくて、ありがたくて

凍った心を溶かすのだ

乾いた心を潤すのだと

知った。

そして気がついた。

私がこうやって受け取ることを

していなかっただけなんだって。

そもそも、くださいって

言ってなかった。

ずっとオアシスから遠いところで

喉をカラカラにしながら

神様に雨乞いをしていただけだった。

でも、そんなことをしなくても

みんながいるところに行って

お水を分けてくださいって

素直に言えていたら

みんなこんな風に

あたたかい気持ちで

お水を分けてくれていたのに。

それをただ信じるだけで良かったのに。

私はだいぶ遠回りしてしまった。

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年の瀬の空港にて

見送りのために久しぶりに空港に出向いた。

年の瀬なので、実家に帰省するらしき家族連れや、どこかに旅行に行くらしき人々がたくさんいて、活気に満ちている。

その光景を眺めながら感じるのは、

家族をゆるやかに包むその連帯感や暖かさ、
夫婦がお互いの家族と繋がることで世界が広がるその楽しさや、

まるで足し算ではなくかけ算のように、思いがけず大きく世界が展開していくその可能性。

と同時に、

どこか役割やしがらみの気配を湛えた、
ある種の気だるさや息苦しさ
そしてそこはかとない閉塞感や諦めのようなもの。

シングルであればひとりの自由を謳歌していて、それがとても眩しく見える一方で、

どこか漂う所属感のないよるべなさ。

みんなそれぞれに幸せと、

現状のどうしようもなさみたいなものを抱えていて

それらはどうしようもないが故に言葉になされないままに

そこここに漂っている

と、そんな風に感じながら歩いた。

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